言葉を使うこと

人間が言葉を使うのは、思考するためなのだそうです。

例えば、A=Bであり、B=Cであるなら、C=Aであるという簡単な論理ですら、ひとつひとつの事象を言葉にするからこそ積み重ねられるのだとか。
だとすれば、人間がこんなにも発展することができたのは言葉を発明したからだと言っても差し支えないのではないでしょうか?

さて、一方言葉を持たない動物たちは、吠えたり唸ったりするだけ、あるいは体の動きだけで意思の疎通を行います。
思いを伝えるために人は言葉を紡ぐけれど、言葉を尽くそうとして却って思いが伝わらないこともあります。
この世にはそうれはもう多様な言葉があるのに、特に日本語はそれがとても豊かだというのに、気持ちを言葉で表すことは容易ではありません。
ひと口に「嬉しい」という気持ちでも、胸が躍るようなうれしさもあれば、心に沁み入るようなうれしさもあるわけで、その時々によって全く同じ気持ちは無く、そもそもつかみどころの無い人の気持ちというものを完璧に言葉に変換することなどできません。
時には表情や態度の方が、よほど雄弁に気持ちを伝えることもあるわけで。
これって、言葉を使うことが、議論には役立ってもコミュニケーションには必ずしも有用で無いことを証明してしまっている気がします。
とはいえ、ここまで言葉が発達し、思考が複雑化したからこそ、感情もここまで複雑化したのでしょうから、気持ちと言葉とは切っても切れない関係にあるのでしょう。

いつか、心の中にある感情の塊を、言葉を介さずに直接相手に伝える方法が開発されたとしても、やはり大事な場面では言葉を使う気がします。思うように操れない不便さも込みで、私は言葉を愛しているからです。