文を書くこと4
数年前、仕事や人間関係で悩んだときにやたらと文を書いていた時期がありました。
何故うまくいかなかったのか、怒らせてしまったのかがわからないときに、私はその相手の目線でその日の状況を書いていました。
相手の本当の気持ちなんてわかるはずはありませんが、「ああ、だから怒ったのか」と自分なりに納得して多少すっきりしましたし、相手をむやみに嫌わずに済みました。
ところがこの方法、ひたすら自分の悪口ばかり書くことになるので、かなり落ち込むやり方でした。
その日一日の失敗でとっくに落ち込んでいたので、自分のこの行動がさらに自分を追い込んでいることに私は気付いていませんでした。
それで失敗は減ったかというと増えたような気すらしましたし、ずっと自分を責めて夜もあまり眠れなくなりました。
このとき私は、相手の気持ちにばかり寄り添って、傷ついている自分の気持ちは蔑ろにしてしまっていたのだと思います。
その上、相手の気持ちなんて、直接聞かない限り、いくら考えても本当にはわかるはずがありません。
私は自分で作り出した幻影におびえているようなものでした。
もう取り返しがつかないくらい嫌われていたのですから、「何が駄目ですか?」と直接聞いてしまった方がいっそましだったはずです。まぁにらまれて舌打ちくらいはされるでしょうけれども。それはいつものことだから。
今なら、仕方の無い失敗だったなとか、たいした失敗じゃないものもあったなとかもわかるのですが、その一つ一つにバカみたいに落ち込んでいました。
どうせ書くなら、そういう気持ちをはき出すために文を書けばよかったなと、今は思うのです。
これからは自分のために文を書こう。
改めて思ったのでした。