自画像

大学生の時、授業で、先生が志賀直哉の描いた自画像を見せてくださったことがありました。

描かれた顔はいびつで、左右の耳の大きさも違っており、あまり上手とは言えない物でした。

志賀直哉はたびたび自画像を描いていたそうで、先生は「変わった人だよね」とおっしゃっていましたが、実は私も突発的に自画像を描いたことがありました。

 

大学に入って親元を離れ、しばらくした頃のことです。

私は少し精神的に不安定になっていました。

それまでは、イライラしても気持ちをノートに書き留めたり、おいしいものを食べてぐっすり眠ればたいてい解決したのです。

しかしそんな方法ではとうてい気分は落ち着かず、鏡を見ると見たことも無いくらいひどい顔をした自分がいました。世界で一番醜い顔だと思いました。

私は言い表しようのない不安を、ぶつけるように友人に相談しました。友人は私を気遣ってくれ、話を聞いてくれましたが、私が「ひどい顔をしている」という点は同意してくれませんでした。「いつも通りだ」と言うのです。

私はとにかく不安でした。この不安をわかってもらえないことが不安でした。

醜い私の心を通して見るからこそ、この醜い顔は世界一醜くなるに違いない。

私はそう思って、自分の顔を描き写し始めました。私が、私の心を通して見ている物を、何とかわかってもらいたかったのです。

こんなにひどい気持ちで絵を描いたのは初めてでした。

左右で大きさの違う目、不自然な出っ張り、醜い影を作るしわ。自分が醜いと思う部分を、ことさら克明に描き続けました。

一時間も経った頃、自画像ができあがりました。

そこにあったのは、様々な欠点を持った、いつも通りの私の顔でした。

「あれ?」と思って改めて鏡を見ると、友人の言う「いつも通り」の私の顔になっていました。

すっかり気持ちも落ち着いて、なんだかキツネにつままれたようでした。

すぐさま迷惑をかけた友人に謝りに行ったことは、言うまでもありません。

 

あのとき私を支配した、あの不安は何だったのだろうと思います。

初めて親元を離れて、環境の変化から鬱病になりかけていたのでしょうか。

 

そして志賀直哉の自画像を見たとき、彼も同じ不安を抱えていたような気がしてなりませんでした。醜さや欠点をことさら強調するように描かれた絵は、彼の心が彼自身にそう見せていた姿のように思えるのです。

自分の心の中にある不安や醜さを、どうにかわかってもらいたくて絵を描き、それでは伝わらなかったから、言葉=小説 で伝えようともがいた人なのではないでしょうか。

そんな志賀直哉の作品は、暗いと敬遠されがちですが、人の心について深く切り込んだ物が多く、私は好きです。