言い表せないもの

お題「わたしの宝物」

 

米津玄師さんの「vivi」という曲の中で、こんな歌詞がある。

 

  あなたへと渡す手紙のため

  いろいろと思い出した

  どれだって美しいけれども

  一つも書くことなどないんだ

 

  でもどうして 言葉にしたくなって

  鉛みたいな嘘に変えてまで

  行方のない鳥になってまで

  汚してしまうのか

 

わたしの宝物は、思い出だと書こうとして、どうにもうまくいかないことに気付いた。

小さい頃に家族で行った大きな迷路。

歩き疲れた頃に、出口でアイスを買ってもらって食べたこと。

あのときの、まぶしい太陽。みんなで囲んだ小さなテーブル。 

ひとつひとつは何てことも無い出来事ばかりで、

何がそんなに大切なのかと問われれば、自分でもよくわからなくなってしまう。

でも私にとっては、ときどき涙が出そうになるほど懐かしい思い出。

 

 そういう思い出は、私の場合、友だちとのものでは無く、家族との思い出ばかりだ。

 だからだろうか。

私にはこの歌は、家族との別れ=子どもの独り立ち を歌っているように感じる。

 

  どうにもならない心でも

  あなたと歩いてきたんだ

 

素直に感謝を伝えられない思春期。

子ども社会の中で、うまくやれないことへの葛藤。

それでも、そんな自分を受け入れて一緒に歩んでくれた親。

だからせめて感謝を伝えたくて、手紙を書こうとしたけど、

言葉にしようとするとうまくいかなかった。

 

  愛してるよ ビビ

  明日になれば

  バイバイしなくちゃいけない僕だ

  灰になりそうなまどろむ街を

  あなたと共に置いていくのさ

 

大人になれば、いつか独り立ちするときがやってくる。

大切な親に別れを告げて

自分を受け入れてくれなかった故郷の町に親をおいていく。

 

  言葉を吐いて体に触れて

  それでも何も言えない僕だ

  愛してるよ ビビ

  愛してるよ ビビ

  さよならだけが僕らの愛だ

 

「元気で」とか、何でも無い言葉は口から出るのに、

とても感謝していること

別れが寂しいこと

愛していること

肝心なことは何一つ言えないまま、別れの時が来る。

だけど、自分がこの町を出て自分の力を発揮して生きていくことは

自分の望みでもあり、親の願いでもある。

だから、互いのために「さよなら」をする。

愛してるよ、と心の中で互いに何度も呟きながら。

 

そんなプラットホームの情景が思い浮かんでならないのだ。