楽しいテスト
今週のお題「試験の思い出」
変な話かも知れませんが、私はテストが結構好きでした。
もちろん嫌いな教科のテストは嫌ですが、私の好きな国語のテストの時には「さて、どんな問題が出てくるかな」とちょっとわくわくしたものです。
自分が重要だと思っている箇所と出題が一致すると、「やっぱりね」と得意になり、自分の思いも寄らない視点からの出題があると「そう来たか」とチャレンジ精神をくすぐられました。
テストを通して、出題者と対話しているような感覚でした。
それはよく見知った学校の先生の作ったテストの時だけでなく、入学試験など、出題者と会ったこともない場合にも同様でした。
入学試験や模試を受けていた頃を思い返してみると、国語のテストに出てくる文章のほとんどは初めて読むものでしたが、実に魅力的な作品が多くて、「作っている人はすごいなぁ、よくこんな作品を知っているなぁ」と感心していました。タイトルを覚えておいて、あとで図書館に借りに行ったこともあります。
テストの目的からはそれるのでしょうが、案外そうやって何でも楽しむことが、一番大切なのかも知れないなと大人になってから思い返しています。
初めてのスキー
今週のお題「冬のスポーツ」
かれこれ20年ほど前になりますが、高校の修学旅行で初めてスキーをしました。
自他共に認める運動音痴な私は当然いやがりましたが、私ひとりの意見で行き先が覆るはずもなく、かといって学校行事をサボタージュする度胸もなく、ドナドナのような気持ちでバスに揺られていったのを覚えています。
スキー場では10人ちょっとのグループごとにインストラクターの先生がついてくれて、初心者の私たちに一通りの基本を教えてくれました。
「スキー場ではスキー板を外してはいけません」
「滑るときはスキー板をハの字にしましょう」
初心者のみのグループだからと、それはゆっくりと進めてくれていたのですが、そのなかでも運動神経の悪い私は逆の意味で頭角を現し始めました。みんなが一度でできることが、三回やってもできません。
自分の体も満足に動かせないのに、スキー板なんて付属品がついてしまったらまともに動けるはずがありません。無関係の人を巻き込みながらひたすら転んでいました。
次第にいくつかあった初心者グループの中でも私の居たグループだけ進みが遅いことが明らかになってくると、インストラクターの先生も焦り始めたのか、できない人間のことは少し目をつぶって、難しいコースへ進み始めました。
もしここで「不安なら下で待っていて良いよ」と言われたら、私は喜んで待っていたと思います。しかし何も言われずついて行った先が難しいコースなら、もう遭難しないことを願って滑るしかないではありませんか。
そのコースは、ぼこぼこと乱立する小さな雪山の間を左右に避けながら滑るコースでした。滑り初めて3日目のことでした。無理だろうなという予感はひしひしとしました。歩いて帰りたいなぁとも思いました。が、「スキー板は脱いではいけない」という掟を破ることもできません。
私は崖から突き落とされるような気持ちで滑り始めました。
案の定、ものの数秒で転びました。いや、事故を起こしました。
ハの字形を保てなくなったのスキー板はXの形になり、小さな雪山の一つに突き刺さりました。その勢いのまま私は空を飛び、誰も踏み固めていないふかふかの雪があるところまで転がっていきました。
雪まみれになって起き上がると、少し遠くに私の履いていたスキー板がXの形のまま墓標のように突き刺さっていました。後から知ったのですが、スキー板は強い力が掛かると自動的に外れるようになっているのだそうです。私のような人間のための安全装置でしょうか。ありがたいことです。
体の方はというと、幸いあまり痛くなく、生まれつき関節も柔らかい方なのでひねってもいないようでした。しかしながら今の私にはスキー板がありません。スキー板がなくてはスキー場に入ってはいけないはず。しかしスキー板を取りに行かなくてはスキー板を履けません。
どうしようかと悩んでいると、インストラクターの先生が慌てて飛んできてくれました。私が大けがでもしたのかと心配したようです。「ごめんね、大丈夫?立てる?」とかなり取り乱した様子でした。怪我もなく、ただスキー板をどうしようか悩んでいた旨を伝えると、「そのままでいいから取りに行こう」と言われました。
え、いいんですか!?
そのときの衝撃と喜びったら。その後私はスキー板を抱えて無事徒歩で下山し、残り時間はスキー講習に参加せずまったりとストーブに当たって過ごしましたとさ。
私みたいなのにあたって、インストラクターの先生も大変だったなぁとは思うけれども。どう頑張っても運動ができない人もいると言うことを、世間の人はもう少し知るべきだと思います。
働き疲れた小人のつぶやき
「自由に働く」がうまくイメージできなかったので、逆に今働く上で不自由に思っている事って何かしらと考えてみた。
- それは私の仕事なのか?と思うことも仕事として流れてくる。
- 業務外業務が多すぎてもはや定着している。
- 相手の都合に合わせて時間外にも仕事を続けなくてはならない。
- 業務時間外にも家で仕事をしないと業務が回らない。
- 業務時間外にも仕事の連絡を取る必要がある。
つまり私は、今のしくみを崩して自由に働きたいと思っているわけではなく、むしろ決まりをはっきりさせて、それ以上に働かせないで欲しいと思っているわけだ。
「自由」とか「臨機応変」って聞こえは良いけれど、それぞれが思うように仕事をした結果出来たひずみや穴を、誰かが犠牲になって後始末しているということが往々にしてあるように感じる。
こういうことが多いと、しまいには疲れ果てて、こんなことを考え始めてしまうわけだ。
「むしろ、働くことからフリーになりたい!!」(無職)
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腰痛に苦しんで
今週のお題「最近あったちょっといいこと」
このところ、ずっと腰が痛くて、だいぶまいっていた。
歩けないほど足の裏まで痛みが広がった日もあったし、
股関節までゆがみが来て、足の付け根が外れそうな痛みに立ち上がれなくなったこともあった。
それでも仕事を休むという発想には至らなくて、毎日同じように働いていた。
何せ、休もうと思うと普通に働く以上に面倒な根回しが要る。
やりかけの仕事を代わってもらうためのお願いや、代わりに仕事を進めてもらうための引き継ぎ文書の作成。
毎日いっぱいいっぱいで、整体に行く時間も取れないのに、さらにそれをするのは無理だった。
けれどもこのまま同じように仕事をするのも無理だと悟ったので、負担になるようなことを少し減らすことにした。
遅くまで丁寧にやっていた仕事を、確認もそこそこに放り出して帰ってみた。
いつも念のためと持ち歩いていた重い資料を持つのをやめた。
多少困る日もあったけれど、たいてい別のことでカバーできた。
余裕のできた時間で、家でマッサージとストレッチ、お灸の時間を増やした。
そうしたら、今日は、ついに!腰があまり痛まなかった!
痛みがないって素晴らしい。これで今週は生きていけそう。本当に良かった。
お風呂にて
今週のお題「お風呂での過ごし方」
少し前まで、お風呂に入りながらスマホをいじっていた。
風呂の蓋の上にスマホを載せながらひたすらネットサーフィン。
ひとえにお風呂に入ってなにもしない時間がもったいなかったからだけれど、いつの間にか入浴時間が長くなり、入浴中もずっとスマホを触っているものだから肩こりまで出始めて、これはまずいと思い直した。
そこで今はどうしているかというと、お風呂の蓋の上にはやはりスマホ。
ただしリラックスミュージックをかけるだけで、ほとんど触らない。
音楽は10分で切れるようにしておいて、その間は湯船につかりながら新しく買ったシャンプーブラシでヘッドマッサージ。
10分経つ頃には、頭皮がぽかぽかしてくる。
それから頭を洗って、洗顔もして、最後にもう10分湯船に入り、体を温めてからあがる。
これを始めたのは頭皮の血の巡りが悪いと肩こりになりやすいという話を聞いたからなのだけれど、不思議とやってみると、一番に髪質が変わった。
ひどい癖毛だったのが少し落ち着き、手触りも良くなった。
どういう理屈なのかよくわからないが、良い変化なので追求しないでおこう。
次は肩こりが良くなると良いなー。
美しい人
私の母は美しい人で、授業参観などで母が教室に入るとまわりがざわっとするくらいの、際立つ美貌の持ち主だった。
一方娘の私はといえばむしろ醜い方の容姿で、親子だと言うといつも一瞬「えっ」という気まずい空気が流れる。
こんな私でも本当に幼い頃は「大人になったらきっとお母さんみたいな美人になるよ」という無責任な社交辞令を信じていたのだけれど、あの気まずい空気に何度もさらされて、小学校に入った頃には現実を受け入れた。
なぜなら私は母とはかけらも似ていなかった。
母がスマートで私がぽっちゃりだったことを差し引いても、骨格が全然違うのだ。どこの国の血が入ってらっしゃるのですかといいたくなる彫りの深い目元も、高い鼻も、芸術家がデザインしたような理想的な二重瞼の目も、私には何一つ受け継がれなかった。すらりとした女優のように華やかな美女の娘は、無闇に体が大きいだけの冴えない醜女だった。
だからといって私が母の美貌を妬んだり、あるいは奮起して自らを美しくしようと努力したりしたかといえば、そんなことは全くなく、むしろ自分の容姿には興味を持てなかった。
生来の気質もあったのだろうし、目の前に完成された美があるのにわざわざ不完全な容姿をどうこうしようというやる気が起きなかったという理由もほんの少し手伝って、冴えない娘はますます冴えなくなっていった。
年頃と呼ばれる年代から足がはみ出る頃になってようやく、私は私の外見と向き合えるようになった。
手をかけて来なかっただけあって決して美しくはなかったけれど、実直に生きてきた好ましい雰囲気だけは確かにあって、それはそれで悪くないと思えるようになったのだ。
美しい人にはなれなくても、感じのいい人になろう。
母のようになれないからといって自分の外見から目をそらしていた私が、結局は一番美醜にこだわっていたのだろう。
私は私の着たい物を着て、生きたいように生きればいい。やっとそんなふうに開き直れるようになった。
母が美しい理由は、何も生まれついての資質だけではなかった。
常に背筋を伸ばし、まっすぐに歩くこと。
自分の機嫌が良くても悪くても、常に笑顔で居ること。
人を悪く言わないこと。
通りすがりの人でも関係なく、お互いが気持ちよく過ごせるように気遣うこと。
そういった普段の何気ない振る舞いが、母の美しさを支える芯のようなものを作っていたのだと思う。
そしてそういった内面的な要素を、母は小さい頃から私にも教え込んでくれた。
母のように何もかもできているとは言えないけれど、必要以上に自分を卑下しなくてもいいだけの自信を持てるようになった。
美しい人にはやはり惹かれる。
しかし自分がその顔なら良いのにとは、やせ我慢でなくあまり思わない。
私はこれでいいと思っているし、何より私にとって世界で一番美しい人は、今も昔も母なのだ。
眠れない夜
今週のお題「眠れないときにすること」
安眠音楽をかけてしばらく目を閉じていても眠れなくて、
寝る前のヨガをやってみてもやっぱり眠れないときは
もう諦めてひたすら考え事をしています。
そのまま朝が来ることもあるけど、明け方には少し眠れるから。
なぜ眠れないのかを考えてみれば、原因は大体昼間の過ごし方にあります。
昼寝のしすぎで、ということもなくはないけれど、
多くは夜になって悔やんでしまうような過ごし方をしたから。
やるべきことをおざなりにしてしまった日。
自堕落に過ごしてしまった日。
不用意な言い方で人を傷つけてしまった日。
あまり引きずらない方だとは思っているけれど、
どうしてこんなことになったのかと考え出すと止まらなくて
眠れないことがたまにあります。
悔やんで結局翌日に疲れを持ち越してしまうのなら、
それは気にしているし、引きずっているんだよな。
一人で考え続けても堂々巡りで、結局答えなんて出ないのだと、
わかっているのにやってしまう。
馬鹿だなぁ。